名古屋高等裁判所 平成7年(う)200号 判決 1996年2月20日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
検察官の控訴の趣意は、名古屋高等検察庁検察官田子忠雄提出の名古屋地方検察庁検察官矢野収藏名義の控訴趣意書に、被告人の控訴の趣意は、弁護人平野保、同水野基、同石原真二連名の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用し、各論旨について、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討する。
第一点 弁護人の控訴趣意中理由不備の論旨について
所論は、要するに、原判示第二及び第三の所得税法違反の事実に関する原判決の事実摘示は、個別のほ脱犯の構成要件事実の一部について具体性、特定性に欠ける点があり、判決文を一読しても、具体的にいかなる「偽りその他不正の行為により」所得税をほ脱したとするものかが不明確である、本件においては、不正の方法の内容を明らかにするためのみならず、ほ脱額算出の根拠を特定、明示するためにも、寄附金額の記載が不可欠であるにもかかわらず、ほ脱の方法の事実摘示が抽象的な上、他と区別できる程度に特定的でないため、その内容が判然としていない、これは、結局、判決に付されるべき理由が一部欠落しているというにほかならず、原判決には理由不備の違法がある、というのである。
しかし、本件の所得税法違反の犯罪事実は、いずれも、原判示第二及び第三記載の各納税義務者において、愛知県選挙管理委員会(以下「選管」という)の確認印のある内容虚偽の寄附金控除のための書類(以下「架空領収書」又は「水増し領収書」ともいう)を利用して、平成五年法律第六八号による改正前の租税特別措置法四一条の一六の適用を受け、所得税法七八条一項(二頁)により控除されるべき政治団体に対する寄附金(以下「特定寄附金」という)を支出した事実がないのに、これを支出したように装う方法により、虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、所得税をほ脱したものであるところ、原判決別表一二ないし一七の各正当税額等欄の課税される所得金額から同表の各所得税確定申告状況欄の課税される所得金額を差し引いた形で判示されている各納税義務者の各年度における過少申告所得金額(ただし、被告人、B及びCの過少申告所得金額については、原判決本文(原判示第二の一の1及び2、第三の一の1ないし6)において判示されている)に見合う金額が、各納税義務者が支出したとする特定寄附金の合計金額であり、その内容は、原判示第一の各政治団体に係る収支報告書虚偽記入の事実の内容として、原判決別表一ないし一一の各寄附名目額欄に各年度の政治団体別に判示されているのであるから、所得税法違反(虚偽過少申告によるほ脱)の犯罪事実の摘示として欠けるところはなく、事実の摘示が抽象的で、かつ、他と区別できる程度に特定されていないとはいえない。たしかに、本件において、特定の納税義務者について、その支出したとされる特定寄附金の内容ひいては所得税ほ脱の方法を具体的に把握するためには、右のような手順を経る必要があることは所論の指摘するとおりであるが、本件のように、被告人と共犯関係にある納税義務者が多数であり、ほ脱年度も三か年にわたり、かつ、特定寄附金を受けたとされる政治団体が六団体あって、納税義務者との関係も交錯している複雑な事案において、被告人を主体とする正確かつ簡潔な事実を摘示するために、原判決が採用した判示方法は、訴因とも相応するやむを得ないものというべきであり、もとより違法不当とはいえない。
理由不備の論旨は理由がない。
第二点 弁護人の控訴趣意中事実誤認の論旨について
一 原判示第二の共謀に関する事実誤認の主張について
所論は、要するに、原判決は、原判示第二の所得税法違反の事実(以下、この項において「本件」という)に関し、被告人とD及び原判決別表一二ないし一四記載の各納税義務者(以下「本件共犯者」という)との間に、所得税ほ脱についての共謀があった旨認定しているが、被告人と右の者らとの間に共謀はなかったのであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、本件に関し、被告人とD及び本件共犯者との間に、所得税ほ脱についての共謀があったと認められるとの原判決の判断は、その(争点に対する判断)の第一の二で説示するところを含め、正当として是認できるが、以下補足して説明する。
所論は、<1> 原判決は、被告人が、昭和五六年ころ、Dに対し、お互い損をしないようにして、金を集めなければならない、政治団体に寄附したことにすれば、寄附金控除が受けられ税金が得になることを説明して金を出してもらおう、などと言って、個人から献金を集めるよう指示したとして、Dとの共謀を認定しているが、原審において、被告人はこれを全面的に否定しており(第六回公判供述)、また、Dも被告人からそのように言われたことはない旨明確に証言している(第三回公判)ことに照らせば、共謀がなかったことは明らかである、<2> 原判決は、DがEをはじめとする本件共犯者との水増し献金の話を被告人に逐一報告していたとして、同人らとの共謀を認定しているが、被告人は、原審において、県議は別にして、Dが、一般の人達に水増し領収書又は架空領収書を渡していたことは知らなかった旨供述しており(第六回公判)、また、Dも、同人に対する所得税法違反等被告事件の被告人共述調書において、被告人に逐一検察官調書にあるような形での報告はしていない旨供述している(原審弁4)ことに照らせば、被告人とDとの間の個別の共謀がなかったことも明らかである、<3> 原判決は、Dの検察官調書の信用性を一方的に肯定し、これに基づいて事実を認定しているが、同人の原審証言と比較検討すれば、同人の検察官調書は到底信用できない、という。
所論にかんがみ検討するに、Dの平成五年一一月二四日付け(二通)、同年一二月一八日付け、同月二一日付け、同月二二日付け、同月二四日付け及び同月二七日付け各検察官調書(検甲26~28、33~36。いずれも謄本であるが、以下の説示においては、謄本の表示を省略する)には、原判決がその(争点に対する判断)の第一の二の1ないし3において認定した事実と符合する供述記載があり、原判決は、右のDの検察官調書の信用性を肯定し、これを主要な証拠として右の各事実を認定し、右認定に反する被告人の原審供述、Dの原審証言及び同人に対する所得税法違反等被告事件の各被告人供述調書(原審弁3~6)を排斥していることが明らかである。そこで、右のDの検察官調書の信用性について判断すると、本件共犯者らの検察官調書を含む関係証拠によれば、<1> 被告人は、昭和五四年に愛知県議会議員に初当選したが、ほどなく、先輩又は同期の県議から依頼され、自己の政治団体であるA後援会等の名義で選管の確認印のある架空の寄附金領収書を渡すようになり、昭和五五年ころからは、同僚の県議らに依頼し、同人らの政治団体に被告人が寄附をしたとする架空の寄附金領収書を受け取り、いわゆる「回し献金」を行うようになっていること、<2> 被告人の私設秘書であったDは、被告人の所得税確定申告に関する事務一切を担当していたほか、被告人が県議に当選した後である昭和五六年ころに、当時の自民党愛知県支部連合会事務局次長であったFから、政治団体に対する寄附金の課税上の優遇措置について、具体的な税の軽減額の算出例を含め詳細な説明を受けていること、<3> 名古屋青年会議所の勉強会をきっかけとして被告人と親交があったEは、昭和五六年暮れころ、被告人から、寄附をしても損をしない節税の方法があるので自分に献金をしてほしい、詳しい説明はDにさせる旨持ちかけられ、同年末、被告人の意を受けたDから、五〇万円を寄附してもらえれば一五〇万円の領収書を切らせていただく、その領収書を税務署に出せば一五〇万円が所得から控除され、税金が還付されるなどと説明されたことから、右のような水増し領収書を用いて脱税することを決意し、昭和五七年以降平成四年までの間、被告人に毎年三〇万円ないし五〇万円の寄附をする見返りに、選管の確認印のある一五〇万円の水増し領収書(一通ないし二通)を受領し、これによって虚偽過少の確定申告を行っていたこと、<4> ゴルフを通じて被告人と交際があり、選挙の応援をしたこともあるGは、昭和五七年ころ、被告人から、一五〇万円を政治団体に寄附したことにして領収書をもらってあげる、確定申告の際にその書類を出せば税金が戻ってくる、その分から四〇パーセントくらいをバックにしてほしいなどと持ちかけられ、これを了承して、同年以降平成三年までの間、被告人の事務所から送付されてくる選管の確認印のある一五〇万円の架空領収書を利用して虚偽過少の確定申告を行い、毎年四月ないし五月ころ、還付ないし減額された税金の三、四〇パーセントに当たる現金を同人が経営する会社の常務であるHを通じて、被告人に渡していたこと、<5> 娘の転校の世話をしてもらったことなどから被告人及びDと交際のあったIは、平成四年一月ころ、Dから、親しい人で収入の多い人を知らないか、架空の寄附金の領収書を渡すので、それを確定申告のときに税務署に出せば領収書の半分くらい還付金が戻ってくる、その一部をこちらに戻してくれればいいなどと持ちかけられ、知人でサッシ会社を経営しているJを誘い、両名で改めてDから詳しい説明を受けたことから、Jともども右のような方法で脱税することを決意し、Iについては平成四年分、Jについては平成三、四年の二年分の所得税に関し、被告人の事務所から送付されてくる選管の確認印のある架空領収書を利用して虚偽過少の確定申告を行い、還付された税金の一部を、平成四年四月下旬と平成五年五月上旬の二回にわたり、被告人の事務所に持参して直接被告人に渡していたこと、<6> Gは、被告人から持ちかけられた架空の領収書による脱税の話を実兄のKと前記Hに紹介し、同人らもこれに加わるとの意向を示したので、これをDに伝えて了承を得ており、さらに、Hは、右の脱税の話を実弟のLと関連会社の社長であるMに紹介したところ、同人らもこれに加わるとの意向を示したので、これをDに伝えて了承を得、その結果、K及びHの両名については昭和五七年以降平成三年までの毎年分、L及びMの両名については平成三年分のそれぞれの所得税について、同様の方法により虚偽過少の確定申告を行い、毎年四月ないし五月ころ、各人の還付ないし減額された税金の三、四〇パーセントに当たる現金を、各人ごとに氏名を書いた封筒に入れてまとめたものを、Hが被告人ないしDに渡していたこと、以上の事実を認めることができる。そして、右に認定した事実によれば、被告人及びDは、遅くとも昭和五六年ころまでには、架空又は水増し領収書を利用して確定申告を行うことにより、所得税をほ脱することができることを認識しており、被告人自ら、又は被告人の指示を受けたDが、知人等に右の方法により所得税をほ脱することを説明し、あるいは働きかけ、その見返りとして、還付又は減額された税金の一部を事前又は事後に献金させることを図っていたこと、被告人は、自らが脱税の話を持ちかけた者についてはもちろんのこと、その後Dが承諾を与えた者についても、見返りとして渡された現金の授受に関与したことなどにより、各人の各年度におけるほ脱状況の詳細についてまでは具体的に把握していないとしても、何人が自己の関係する政治団体の発行する架空又は水増し領収書により所得税をほ脱しているかについては、これを認識していたものと考えられること、などの事実を十分認めることができる。そうすると、Dの前記検察官調書は、右のような事実に裏付けられているものというべきであり、かつ、右検察官の取調べ当時、衆議院議員になっていた被告人の公設第一秘書であったD(ただし、中途で辞任した)において、真実に反してまで被告人を陥れる供述をしなければならないような動機は考えられないことなどに徴すると、本件の共謀に関わる被告人の発言等の微細な点についてはともかく、その主旨においては十分信用できるものというべきである。なお、Dが自己に対する所得税法違反等被告事件の被告人質問において、昭和五五年ころ、被告人の事務所において、被告人との間で、言葉はさておき、とにかくできるだけ負担を少なくして献金を頂こうというやりとりがあった、負担を少なくするという意味は水増し領収書を発行するということである、この点は被告人も承知していた旨供述している(原審弁5。記録一六冊三九一五丁)ことも、右の判断を裏付けるものである。
これに対し、本件に関し、被告人とD及び本件共犯者との間の共謀の成立を否定する被告人の原審供述、Dの原審証言及び同人の前記各被告人供述調書は、それ自体、いずれも不合理、不自然なもので、到底信用できない。
以上のとおり、原判示第二の共謀に関する事実誤認の所論は理由がない。
二 原判示第三の共謀に関する事実誤認の主張について
所論は、要するに、原判決は、原判示第三の所得税法違反の事実(以下、この項において「本件」という)に関し、被告人とD、B及びC並びに原判決別表一五ないし一七記載の各納税義務者(以下「本件共犯者」という)との間に、所得税ほ脱についての共謀があった旨認定しているが、被告人と右の者らとの間に所得税ほ脱の共謀はなかったのであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、本件に関し、被告人とD、B及びC並びに本件共犯者との間に、所得税ほ脱についての共謀があったと認められるとの原判決の判断は、その(争点に対する判断)の第一の三で説示するところを含め、正当として是認できるが、以下補足して説明する。
所論は、本件の共謀の発端となったとされる昭和六一年一一月二八日の被告人、B及びCの三者会談(以下「三者会談」という)においては、被告人から、政治団体設立に必要な事項や寄附金と課税の関係を説明した数字等が書き込まれた「Aを育てる会」規約案(以下「規約案」という。記録三冊五一二丁など)をBらに見せたことはなく、被告人は単に自己も会員である親睦団体の甲野会の有力メンバーであるBらに対し、同会の会員からの資金援助を要請し、そのために同会の忘年会で話をする機会を与えてもらいたいと希望したにすぎず、右の会談後に、被告人が、Bらや甲野会の会員を含む本件共犯者とされる者と資金援助に関し接触した事実はないのであり、これらは、被告人の原審供述、Dの原審証言並びにB及びCの同人らに対する所得税法違反被告事件の各被告人供述調書(原審弁13~16)に照らし明らかであるのに、原判決は、右の点に対して何ら判断を示すことなく、D、B及びCの各検察官調書の信用性を一方的に肯定し、これに基づき本件の共謀の事実を認定しているもので、この点においても事実を誤認したものである、という。
所論にかんがみ検討するに、原判決がその(争点に対する判断)の第一の三の1の(一)ないし(八)において詳細に認定するところは、所論の指摘する三者会談の内容やこれに基づく被告人のDに対する指示の部分を除けば、関係証拠により十分これを認めることができる。そして、右の三者会談の内容やこれに基づく被告人のDに対する指示についても、被告人は、三者会談以前の昭和六一年一一月五日に行われた甲野会の旅行会の際に、すでに、Cらに対し、同会会員から節税の方法により一人当たり一〇万円くらいの資金的なバックアップを受けたい旨要請していること、三者会談の後にBの経営する会社を訪れたDは、Bに対し、寄附金の控除を受けるためには政治団体を設立する必要があること、一〇万円の寄附に対して一五〇万円の領収書を発行することなどを説明した上、Bとの間で、新たに設立する政治団体の名称を乙山政経研究会とし、代表者をB、会計責任者をCとすることなどを取り決めたこと、同年一二月一九日に開催された甲野会の忘年会の席上、Dは、一〇万円出せば一五〇万円の領収書を送るなどと説明して、水増し領収書の利用による脱税の見返りとして、被告人に対する資金援助を要請し、賛同を求めたことなどは、原判決の認定するところであり、これに、被告人は本件以前から本件と同様の水増し領収書の利用による脱税を知人等に持ちかけ、その見返りとして資金を集めており、Dも、水増し領収書の発行等の具体的な事務を担当し、あるいは自らも同様の方法による被告人の資金集めを手伝っていたこと、BやCは、右のような経緯で被告人が資金集めを行い、その手段である政治団体の代表者等とされることについて、何ら反対の意向を示したことはないことなどの事情を併せ考慮すれば、三者会談においては、被告人から、甲野会の会員から一人当たり一〇万円の寄附をもらいたいこと、寄附金控除のために水増し領収書を渡すので、一〇万円以上の税金の還付が受けられ、損にならないこと、控除を受けるためには政治団体を設立する必要があることなどの説明があり、B及びCはこれを了承し、その後、被告人は、Dに対し、Bの会社に行って政治団体の設立等について具体的な事柄を取り決めてくるよう指示したものと、十分に推認することができる。そうすると、これに符合するD(平成五年一一月二二日付け、同年一二月四日付け及び同月五日付け。検甲29、31、32)、B(平成五年一一月二四日付け及び平成六年一月二〇日付け。検甲41、42)及びC(二通。検甲44、45)の各検察官調書は十分に信用できるものというべきである。
被告人の原審供述、Dの原審証言、B及びCの前記各被告人供述調書中には、三者会談において、被告人から政治団体の設立に関する細かな話や一五〇万円といった数字は出ていない、また、規約案を見せられたこともないなど、原判決の前記認定に反する部分があるが、D、B及びCは、本件発覚後、被告人の関与を否定すべく口裏合わせを行っていたこと、B及びCは、自らの事件の審理において、自己の刑責はともかく、甲野会会員らを脱税に巻き込んだことに対する責任を回避しようとする態度を取っていることが容易に看取できることなどに徴すると、借信しがたいものといわなければならない。とくに、弁護人は、三者会談で被告人がBらに対し規約案を見せたことはない旨強調するが、右の規約案はそのコピーがBの経営する会社から押収されたものであるところ、規約案下部の政治団体設立の手続や寄附金控除により還付される税額の試算とみられる数字等の手書き部分は被告人の筆跡であり(被告人は原審において、当初はこれを否定していたが、第六回公判において自己の筆跡であることを自認している)、仮に、三者会談後にDがBの許に持参したものであるとするならば、何故に政治団体の設立手続や寄附金控除による還付税額の計算に精通しているDにおいてこれを記入せず、わざわざ被告人がこれを自書し、Dに渡したものか理解に苦しむものというほかなく、B及びCの前記各検察官調書にあるように、右規約案は、被告人が三者会談に持参し、その席上、Bらに対する説明の中で手書き部分を書き加え、さらに、B側の事務担当者としてNの名を備忘のため記載したものとみるのが、極めて自然であり、弁護人の右主張は採るを得ない。
以上のとおり、原判示第三の共謀に関する事実誤認の所論は理由がない。
三 原判示第二の二の2のうち別表一三番号5のOの平成三年分の確定申告に関する事実誤認の主張について
所論は、原判決は、原判示第二の二の2のうち別表一三番号5のOの平成三年分の確定申告に関し、その事実がないのに、平成三年六月二〇日に「丙川政経文化研究会」(以下「丙川」という)へ一五〇万円を寄附したとして、これを控除した虚偽過少の申告をした旨認定しているが、同人の右確定申告において、申告されている特定寄附金としては、自由民主党愛知県支部連合会への寄附のほか、一五〇万円の寄附があるところ、これは、「丁原会」への寄附を指すものであり、丙川はもちろん被告人関連の政治団体への寄附を申告したものではないのであるから、原判決には右の点において事実の誤認がある、というのである。
なるほど、右Oに係る大蔵事務官作成の査察官調査書(検甲62)添付の同人の平成三年分の確定申告書写しの二面「寄附金控除」欄には「名古屋名駅丁原会一、五〇〇、〇〇〇円」「自民党愛知県支部連合会二三六、〇〇〇円」の記載があることが認められる。しかし、右の査察官調査書によれば、右確定申告書の添付書類として一宮税務署長に提出された選管の確認印のある寄附金控除のための書類としては、右の申告書の記載と合致する自由民主党愛知県支部連合会名義の寄附金額二三万六〇〇〇円のもの以外には、丙川名義の寄附金額一五〇万円のもののみであることが認められ、さらに、右Oの検察官調書(平成五年一二月七日付け及び同月一五日付け。検甲99、100)によれば、同人としては、右確定申告書の「寄附金控除」欄には丙川への一五〇万円の架空の寄附を記載して申告するつもりであったが、同人から申告書作成事務の依頼を受けたP子の過誤により、前記のとおり平成二年分の寄附金控除のための書類にあった「名古屋名駅丁原会一、五〇〇、〇〇〇円」の記載がされたにすぎないことが認められる。右の事実に照らせば、原判決が、右Oの平成三年分の確定申告に関し、その事実がないのに、平成三年六月二〇日に丙川へ一五〇万円を寄附したとして、これを控除した虚偽過少の申告をした旨認定していることに、何ら事実の誤認はない。
したがって、事実誤認の論旨は、いずれも理由がない。
第三点 弁護人の控訴趣意中法令適用の誤りの論旨について
一 政治資金規正法違反に関する法令適用の誤りの主張について
所論は、要するに、原判決は、原判示第一の一ないし三(ただし、前記「丙川」に関する二の3及び三の3の各部分を除く)に関し、平成六年法律第四号による改正前の政治資金規正法(以下、この項において「規正法」という)二五条一項の規定する収支報告書虚偽記入罪の主体は会計責任者(同法一二条)に限定されず、収支報告書に内容虚偽の記載をした者は何人たるを問わず同罪に該当するとし、政治資金規正法上の政治団体である「A後援会」「Aを励ます会」「戊田会」「甲田会」及び「乙山政経研究会」の五団体(以下「五団体」という)の収支報告書に虚偽の記入をしたとして、いずれも会計責任者たる身分を有しないDに同罪が成立することを前提とし、同人との共謀により被告人にも同罪が成立するとしているが、規正法二五条一項の虚偽記入罪は会計責任者という身分により構成される真正身分犯であり、五団体について会計責任者の身分を有しないDに同罪は成立しないから、同人と共同正犯の関係に立つとされる被告人も右の限度で無罪である、というのである。
しかし、規正法二五条一項の規定する虚偽記入罪の主体は会計責任者に限定されず、収支報告書に内容虚偽の記載をした者は何人たるを問わず同罪に該当するとした原判決の判断は、その(争点に対する判断)の第三の説示を含め、正当としてこれを是認でき、原判決に法令適用の誤りはない。
なお、虚偽記入罪等を規定する規正法二五条一項は、その後、平成六年法律第四号により改正されたが、右改正後の政治資金規正法二五条一項は、条文の体裁を変更し、不提出罪は第一号、不記載罪は第二号、そして虚偽記入罪は第三号にそれぞれ独立して規定されるようになったところ、同項二号が「第一二条、第一七条、第一八条第三項又は第一九条の五の規定に違反して第一二条第一項若しくは第一七条第一項の報告書又はこれに併せて提出すべき書面に記載すべき事項の記載をしなかった者」と規定するのに対し、同項三号は「第一二条第一項若しくは第一七条第一項の報告書又はこれに併せて提出すべき書面に虚偽の記入をした者」と規定しており、虚偽記入罪について、所論のいうような行為主体の限定をしていないことが条文上からも明らかである。そして、同項の改正に関しては、新たに会計責任者以外の者も虚偽記入罪の行為主体とするなど処罰範囲の拡大等の実質的な変更が行われたものではなく、旧規定の法文を判り易いものに整備したにとどまるものであることは、右改正法の立法経緯に照らし、また明らかであり、これらは、規正法二五条一項の虚偽記入罪の行為主体が会計責任者に限定されるものではないとの前記判断を裏付けるものである。
政治資金規正法違反に関する法令適用の誤りの論旨は理由がない。
二 所得税法違反に関する法令適用の誤りの主張について
所論は、要するに、<1> 所得税法二三八条一項の罪は、講学上いわゆる自手犯であり、身分犯について身分のない者の共同正犯が成立し得る場合でないのに、これを肯定した原判決には法令適用の誤りがあり、<2> 仮に、被告人について、刑法六五条一項により、ほ脱犯の共犯が成立するとしても、原判決は、原判示第二の二以下の各事実について、被告人とすべての行為者(納税義務者)との間で共謀共同正犯の成立を認めているが、K、H及び乙山政経研究会関係の甲野会会員以外の者との関係では、被告人には幇助犯が成立するにすぎないから、原判決にはこの点において法令の適用を誤りひいて事実を誤認した違法があり、これらが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
しかし、所得税法二三八条一項の罪は、所得税納税義務者という身分によって成立する身分犯であるが、納税義務者以外の者についても、身分なき者が身分ある正犯に加功したものとして、刑法六五条一項、六〇条により、ほ脱罪の共同正犯の罪責を問われる場合のあることは、累次の判例によりすでに確立された理論であり、ほ脱罪が講学上いわゆる自手犯であり、共同正犯が成立する余地はないとの所論は採るを得ない。そして、関係証拠によれば、被告人は、原判示第二の二及び第三の各事実に関し、Dと共謀の上、県議である納税義務者(Q、R及びO)の関係では、自己の脱税や選挙等に対する便宜を受けることを図り、その他の納税義務者の関係では、不正行為により還付ないし減額された税金から、見返りとして資金援助を受けることを図り、虚偽過少申告のために必要な選管の確認印のある政治団体の架空又は水増し領収書を作成交付していたことが明らかであり、右の事実関係の下では、被告人は、所論の指摘する者との関係においても、単に、納税義務者に税ほ脱の意図があり、過少申告行為を行ったことについて、その事情を知っていたというに止まらず、自らのためにも、納税義務者をして過少申告行為を行うに至らしめたものとみるのが相当であるから、これと同旨の見解に立ち、被告人と原判示第二の二及び第三のすべての行為者(納税義務者)との間に共謀共同正犯の成立を認めた原判決に所論のいうような違法はない。
所得税法違反に関する法令適用の誤りの論旨も理由がない。
第四点 検察官及び弁護人の各量刑不当の論旨について
検察官の論旨は、要するに、犯罪事実として、公訴事実とほぼ同旨の事実を認定しながら、被告人を懲役二年六か月及び罰金一〇〇〇万円に処し、懲役刑について五年間刑の執行を猶予した原判決の量刑は、懲役刑について刑の執行を猶予した点において、著しく軽きに失して不当である、というのであり、これに対して、弁護人の論旨は、要するに、右の原判決の量刑は、刑期、罰金の併科、猶予期間のいずれの点においても重過ぎて不当である、というのである。
本件は、当時愛知県議会議員であった被告人が、<1> 秘書のDと共謀の上、選管に提出すべき自己の関係する政治団体の平成二年分から平成四年分までの支収報告書合計一三通に、実際にはそのような寄附を受けた事実がないのに、延べ八九名の者から合計一億三〇〇〇万円の寄附を受けた旨の虚偽の記入をし(原判示第一)、<2> 自らの所得税を免れようと企て、Dと共謀の上、政治団体に対し特定寄附金を支出したように装う方法により、所得の一部を隠匿し、虚偽過少の申告を行って、平成二、三年分の所得税合計一一九万円をほ脱し(原判示第二の一)、<3> 自己の後援者や知人等の所得税を免れさせようと企て、D及び各納税義務者と共謀の上、同様の方法により虚偽過少の申告を行って、延べ七二名の平成二年分ないし平成四年分の所得税合計五五一七万円余をほ脱した(原判示第二の二及び第三)、とう事案である。
本件は、政治資金の規正等の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする政治資金規正法の精神をないがしろにし、かつ、政治団体への個人献金の発展を助成するために設けられた特定寄附金控除の制度を悪用して、国民がその能力に応じて均しく負担すべき納税義務を不正に免れたものであって、本件当時、被告人が選挙民からの負託を受けた現職の県議会議員であったことを併せ考えると、まことに悪質な犯行といわなければならない。被告人は、昭和五四年に県議に初当選したが、間もなく先輩県議らが政治団体への架空の寄附金領収書を悪用して脱税を図っていることを知ったものの、その違法性に思いを致すことなく、求められるまま安易に架空の領収書を発行して便宜を与え、次いで、自らも同様に同僚県議から架空の領収書の交付を受けて所得税を免れるようになったばかりか、政治資金に窮していたことから、後援者や知人等に働きかけ、同様の方法で所得税を免れさせ、その一部を見返りとして提供を受けることを企てたものであって、犯行に至る経緯、動機に酌むべきものはまったく見当たらない。政治資金としての寄附金の確認に対する選管の審査が形式的な面に止まっていることを脱税の手段に悪用し、右のように被告人自ら、あるいはDを通じて積極的に知人等に働きかけ、寄附金を受領した形を整えるために次々と政治団体を設立したばかりか、無断で名古屋市議会議員を被推薦人とする政治団体まで設立し、県議としての長い在任期間中に、これらを利用して多数回にわたり犯行を繰り返すなど、犯行態様の悪質性にも著しいものがある。本件において、被告人自身二年間で約一二〇万円の所得税を脱税しているほか、多数の共犯者による三年間の脱税額は五五〇〇万円余に上り、これに対応して被告人が不正に取得した政治献金も多額なものとなっているのであって、本件犯行による国家財政上の損失が大きなものであることはいうまでもない。のみならず、本件の共犯者は、そのほとんどが社会における中堅的存在として活躍し、健全な生活を送ってきた者であるにもかかわらず、被告人からの働きかけを契機に本件に巻き込まれ、発覚後は厳しい非難にさらされ、社会生活上の地位への影響を受けている者も少なくないほか、とくに、県政の中枢にあった県議としての規範意識及び倫理観念の鈍麻に対する国民の強い不信等、本件が社会にもたらした有形無形の影響は、深刻なものとなっている。以上のような本件の罪質、動機、態様、結果、社会的影響等に加え、被告人は、本件の中心的役割を担っていたにもかかわらず、本件が発覚するや、関係者との口裏合わせで自己の責任回避を図り、捜査段階や原審公判においては、秘書に罪責を転嫁して、不合理かつ不自然な弁解を繰り返すなど、衆議院議員になっていた自己の保身のみを図る態度を取っていたことなどを併せ考えると、被告人の刑責はまことに重いといわなければならない。
そうしてみると、昭和五四年の初当選以来、四期一四年余りにわたって県議を務め、県議会の各種委員会の委員長等の要職を歴任し、とくに、私立学校の振興、文化財の保存等に尽力するなど、地域社会に貢献してきたこと、平成七年一月の阪神淡路大震災に対する義援金として、兵庫県及び同県私立中学高等学校連合会に合計一〇〇〇万円を寄附していること、被告人を含め、本件で所得税をほ脱した者は、すでに、各自修正申告をすませた上、本税、延滞税、加算税を納付していることなど、原判決が挙げる被告人に有利な諸事情を斟酌しても、被告人に対しては、懲役刑についても実刑をもって臨むべきであるとする検察官の主張に、それ相応の合理的な根拠があることは否定できない。
しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、被告人は、当審において、原審判決を厳粛に受け止め、法的責任の有無については裁判所の判断に委ねるとしても、本件に対する社会的、道義的責任を一層痛感している旨供述していること、とくに、被告人は、平成六年七月の総選挙において初当選し、衆議院議員の職にあったところ、原判決後の平成七年一一月二九日、本件に対する社会的責任を明確に取るため議員辞職願を提出し、同年一二月五日、これが許可されたことにより、国会議員の地位を失うに至ったことなどの事情が認められ、前記の情状にこれらの事情を総合勘案すると、被告人を懲役二年六か月及び罰金一〇〇〇万円に処し、懲役刑について五年間刑の執行を猶予した原判決の量刑は、現時点においては、これを維持するのが相当であるというべきである。
したがって、検察官及び弁護人の各量刑不当の論旨は、いずれも理由がない。
よって、刑訴法三九六条により、検察官及び被告人の控訴をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 志田 洋 裁判官 川口政明)